歩く

平野を歩く。
大念仏寺→長宝寺→商店街→全興寺→杭全神社
予定では、夕方には出勤しているはずだったのだが、1時頃から歩き出して、杭全神社で5時前だった。出勤は断念する。どう考えても4時間のコースではないと思うのだが、古い家や、味のある店などの写真を撮りながら歩いたり、寺の中をなめるように見て歩いたりするとだめなようだ。平野の町は、古い建物と古い道幅がそのまま残っていてドキドキした。もう2、3回は歩いてもいいな。
大念仏寺では、法明上人650遠忌記念の論文集と融通念仏のお札を購入。以前、遠いところの資料館でお仕事をしていたときに、特展で参考にしたのだが、買えるとは思わなかった*1。杭全神社では、牛玉宝印を購入。論文集は思わぬ出費。
平野駅で電車を待ちながら論文集をめくっていたら、おばちゃんが急に声をかけてくる。よく見ると、大念仏寺の本堂で私に本を売ってくれたおばちゃんだった。
「今日、本買っていただいた人やねぇ。」
「はぁ。」
「なかなか買う人おらへんさかいに印象にのこっとって。」
「まぁ。買う人、おってないでしょうなぁ。」
「お寺さんですか?*2
「いえいえ。髪の毛ありますから。」
「お寺回りとかされとるんですか?」
「まぁ、ちょっとこんなこと勉強しとりまして。。。」
とか言いながら、天王寺まで話をしもって帰った。
おばちゃんは、お寺で勤めだして4ヶ月らしい。勤めるまで融通念仏宗という宗派があることをしらなかったそうだ。毎日参りに来る人やら、若いぼんさんからいろいろ教わっているらしい。
「私もある博物館で展示をする時に慌てて何ヶ月か勉強しただけですから、教学のこととかは全然わからんのですけど、融通念仏の『一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行』*3とゆうのは、まぁ、私のような怠惰な人間には非常にこうええ教えやなぁ、と思いますなぁ。」
というと、
「いやぁ。よう覚えてはる。御本堂に書いてあるけど、私も言われたらわかるけどまだ覚えてないんです。みんなとお念仏をあれしあうておもしろいですねぇ。」
などと束の間の宗教談義に花が開いてしまったよ。
それにしても、「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行」という言葉はいい。もし宗教を選ぶとしたら、ようき暮らしの天理教か、融通念仏だな。

*1:現地に行かずにものを書くな!!

*2:以前、某先生の演習で、地蔵十輪経かそんなお経を引用して、訓読していたら、単位をとるために来ていた院生から同じ言葉を言われたことがある。。。確かに、お寺さんやりながら研究している人はたくさんいるけどね。

*3:「一人一切人 一切人一人」というのは、本山のポスターに「ひとりはみんなのために みんなはひとりのために」とルビがふってあった。