なまはげ「正しい暴れ方」 若者激減、ルール伝授難しく

2008年02月06日02時03分

 昨年の大みそか秋田県男鹿市の旅館に乱入したなまはげは、東京在住の20歳の会社員が扮していた。酒を飲み過ぎた末、女性数人の体を触ったという。国の重要無形民俗文化財でもある伝統行事で、不祥事が起きたのはなぜか。再発防止策はあるのか。

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みそか恒例の「なまはげ」行事。写真の北浦安全寺地区では不祥事はなかった=秋田県男鹿市

 事件は、男鹿半島突端の入道崎近くにある男鹿温泉郷で起きた。

 「泣く子はいねがー」。午後8時半ごろ、漁港に面した43世帯の湯の尻集落から、6匹のなまはげが老舗(しにせ)旅館にやってきた。5匹がロビーで宿泊客に「暴れて」見せる中、1匹は2階の女性大浴場に向かい、洗い場の数人の体に触った。

 この集落のなまはげは40年ほど前から、民家を回った後に旅館やホテルに立ち寄っている。

 問題の青年は高校卒業後に地元を離れ、東京で就職した。なまはげの担い手にふさわしい15〜29歳の男性が集落に6人しかいなかったため、里帰り中に誘われたらしい。

 なまはげは訪れる先々でお膳(ぜん)を出され、酒もつがれる。何十軒と回るので、飲むふりをすることもある。青年はふだん酒を飲めないのに、出されるままに飲んでしまった。「いつの間にか意識がなくなっていた」と釈明したという。

 県警は青年から事情を聴いたものの、被害届が出ていないなどの理由で立件は見送る方針だ。

 実は、男鹿温泉郷ではこの日、別の5施設でも、「胸を触られた」など似たような騒ぎが7件あった。なぜ不祥事が重なったのか。

 もともと、なまはげ行事は集落ごとにおこなわれ、未婚男性が扮した。「童貞に限る」という集落もあった。男たちは中学生ごろからなまはげについて回り、先輩のふるまいを体で覚えた。

 だが高度成長とともにふるさとを離れる若者が増え、ルールを先輩から後輩に伝える機会も減った。市教委によると、77年には85集落のうち78集落がなまはげ行事をしていたのに、07年末では51集落に減っている。

 なまはげを迎える家も減った。たとえば記者が訪ねた北浦安全寺という集落では昨年末、家に上がるのを許されたのは84世帯のうちわずか4世帯。残りの多くは玄関先でお酒がふるまわれ、祝儀をもらうだけだった。

 「家が汚れるし、物が壊されることも」「お膳の支度が面倒」などと敬遠された。15〜29歳の男性はわずか4人。担い手の中心は40代だ。「続ける意味があるのか」。52歳の現役なまはげは悩む。

 ただセクハラまがいの行為は昔からあったそうだ。市内の女性に聞くと「おしりを触られた」といった話は数知れない。「なまはげさんに顔を覚えてもらえ」と、娘や嫁をなまはげの前に引っ張り出す家族もあった。

 こうしたふるまいが表面化しなかったのは、「行事の中のできごと。相手は酔ってもいるし、山神のなまはげによる戒めと納得してきた」(58歳女性)からのようだ。

 男鹿市第三セクターの観光施設「なまはげ館」の解説員小早淳さん(54)によると、誰でもなまはげになれるわけではなかった。

 酒を飲んでも乱れてはいけない。「両親を大事にしない」「仕事をろくにしない」。そんな若者は選ばれなかった。「寝室や風呂場には行かない」といった最低限のマナーは守られてきた。

 小早解説員は「担い手不足もあり、なまはげ行事の持つ意味がきちんと受け継がれていないことが問題だ」と指摘する。

 「年寄りは、なまはげは新年を迎えるけじめだと思っている。いまの若い人は単に怖がらせる行事だと思っている」。なまはげ行事を長く担ってきた男性(70)は嘆く。

 神の化身であるなまはげの面はかつて人の顔に近かったという。それが怖がらせることが強調されて角が出て、鬼の顔に近づいた。観光客向けのなまはげは節分の鬼と変わらなくなった。

 事件を受けて、男鹿市幹部と町内会長らは1月末、なまはげのあり方について協議した。

 「若かった頃、旅館の客の女子学生に触っても、文句を言われなかった」「少しぐらい触っても許された昔とは時代が違う」。率直な意見を交わした。「暴れ方のマニュアルを」との提案も出たが、「今回の問題は観光客相手に起きたことで、地域の人だけのなまはげとは別物」「青年に事前に注意しておけば、こんなことは起きなかった」という理由で見送られた。

 男鹿温泉郷協同組合は今年から、地元町内会に頼らず、独自になまはげ行事をする予定だ。

 「行事の性質上、なまはげがお客様の体に触れる場合があります」。あらかじめ書面で宿泊客や見物人たちにそう告知するのだという。

 〈なまはげ行事〉 起源はわからないが、200年ほど前からあったとされる神事。なまはげは家屋の内外で四股を踏み、大声を出す。四股は家の下の邪気を払うため、大声は家の中の邪気を払うためとされる。家の中で主人と向き合い、来年の豊作や豊漁をあらかじめ祝う問答を交わす。子どもや嫁には威圧的な口調で訓戒を与え、来年も来ると約束して山に帰る。
http://www.asahi.com/life/update/0206/TKY200802050436.html