福原会下山人

「住居跡に標柱を建立 永戸貞著と福原会下山人」1997年(平成9年)1月22日「神戸新聞
篠山町とその周辺の歴史と文化を学ぶ有志の集い「篠山文華学会」(朽木史郎代表(70)、三十三人)がこのほど、同会創立三十周年目を記念して、郷土史研究に偉大な足跡を残した二人の郷土史家、永戸貞著(ながと・ていちょ)と福原会下山人(ふくはら・えげさんじん)の住居跡を示す標柱を同町内に立てた。
貞著は生年不詳で、一七七八年に没。篠山藩士で、郡奉行でもあり、地誌編纂を命じられ、現在の郷土研究上、貴重な文献になっている「丹波志」の編著にあたった。また、会下山人は一八七〇年、同町の生まれ。神戸市内の会下山のふもとに居を構え、太平洋戦争の末期には、郷里篠山に疎開し、定例研究会を開くなど、現在の郷土史研究の基礎をつくった。「多紀郷土史話」や「西摂大観」「有馬郡誌」などの著編書を数多く残して、一九四九年に死亡。建立場所は、両氏住居跡に隣接する同町北新町、和菓子製造販売「大福堂」前。標柱はケヤキ材によるもので、高さ150センチ、幅30センチ、厚さ12センチ。正面には住居跡だったことを示す文が書かれ、側面には貞著の居宅が南隣西面、会下山人は西向かい東面だったことを記している。朽木代表は「会の活動で、両先生の残したものを参考にすることが多い。これを機に偉大な先人を見習い、思いを新たにして、会員一同、研鑽に励みたい」と話している。