高田渡死ぬ

http://www.asahi.com/culture/nikkan/NIK200504170026.html
日本フォークの草分け、高田渡さん死去

2005年04月17日10時17分

 日本のフォークの草分け的存在で、「自衛隊に入ろう」などで知られる歌手の高田渡さん(たかだ・わたる、本名同じ)が16日午前1時22分、北海道釧路市内の病院で心不全のため死去した。56歳。今月3日に北海道・白糠(しらぬか)町のライブ後に倒れ、救急車で釧路市の病院に運ばれていた。岡林信康らとともにフォーク草創期を担い、70年安保の時代に若者の熱烈な支持を得た。

 高田さんは今月3日、北海道・白糠町社会福祉センターで行われたライブに出演した。開演前から足がふらつくなど体調が思わしくなかったが、「生活の柄」など約15曲を約1時間歌った。その後、同町のホテルに宿泊したが、深夜に体調が悪化し救急車で隣の釧路市の病院に運ばれ入院。その直後に意識も混濁した。東京から夫人も駆けつけたが、意識が戻ることなく、16日未明に息を引き取った。

 定時制高校に通いながら東京で音楽活動を始めた。60年代に京都に移り、岡林信康高石ともや中川五郎らとともに関西フォークの中心的存在になり、フォーク草創期を担った。68年に自衛隊を皮肉った反戦フォーク「自衛隊に入ろう」が注目を浴び、翌年アルバムデビュー。「三億円強奪事件の唄」「しらみの旅」「自転車に乗って」など世相を風刺した歌詞と、つぶやくような弾き語りスタイルで「日本の吟遊詩人」とも呼ばれた。伝説の野外コンサート、中津川(岐阜)フォークジャンボリーには69年から3度出演している。

 70年代以降は東京・吉祥寺を本拠にし、なぎら健壱山本コータローら多くのフォーク歌手に影響を与え、細野晴臣松本隆がバックを務めたこともあった。80、90年代は酒の飲みすぎで体調を崩しライブ中に寝込むこともあり、一時活動を停止したが、00年ごろから酒量を控えて回復。各地の小さな会場を回って歌うツアーを行った。

 金鳥のCMに出演したり、CMソングも手がけたが、生活は質素だった。吉祥寺の2間のアパートで暮らし、CDプレーヤーもなかった。昨年4月、高田さんの日常生活を追ったドキュメンタリー映画タカダワタル的」が公開されるなど、若者にも再評価され、今月30日から吉祥寺バウスシアターで再上映が決まっていた。長男の高田漣(31)もミュージシャンとして活動している。

 16日に親族だけで密葬を済ませ、後日「お別れの会」を開く予定。