ペレルマン氏、フィールズ賞初辞退 ポアンカレ解け引退

2006年08月22日23時07分

 名誉や地位に背を向け続けてきた「孤高の数学者」は、数学者にとって最高の栄誉とされるフィールズ賞も拒んだ。難問「ポアンカレ予想」解決の道を示し、数学に新たな地平を開いたその業績はだれもが疑わない。それだけにペレルマン氏が受賞を拒否した衝撃は会場に静かに広がった。

 国際数学連合のジョン・ボール会長がペレルマン氏の名前を呼び上げると、3000人が集った会場はひときわ大きな拍手に包まれた。客席では同氏の姿を探そうと会場内を見回す参加者も。だが、同会長は「残念ながらペレルマン氏は受賞を辞退されました」と告げ、会場はため息に変わった。

 ボール会長によると、電話で拒否の返事を聞いた後、サンクトペテルブルクを訪れて2日間、賞を受けるよう説得。だが気持ちは変わらなかったという。

 同氏の知名度を一気に高めたのは02〜03年、インターネットを通じて発表した論文。ポアンカレ予想を解決する画期的な論文と見られたが、名の通った数学誌への発表がなかったことなどから、一時は「自信がないのでは」との声も出た。

 だが会議に出席した数学者たちは一様に「彼こそ最大の貢献者」とたたえた。「これまで何年かに一度、解けたという論文が出たが、結局は間違いだった。ペレルマン氏の論文が出た時、これは本物という予感がした」と大阪産業大学の市原一裕講師。小島定吉東京工業大学教授も「新しい手法で突破口を開けた。これが解けることで、宇宙物理なども進展するだろう」と評価する。

 ペレルマン氏は、業績もさることながら、メディアの取材を拒み、人前にもほとんど姿を見せない孤高ぶりでかえって注目を集めた。

 怪僧ラスプーチンを思わせるひげもじゃの顔。趣味はキノコ探しを兼ねた森の散歩。昇進や米国で活躍するチャンスを辞退し、欧州の若手数学者に与えられる賞も拒否した。

 小島教授は「ひとりでできるのが数学。ひとりを好むタイプが数学者になるのかも。数学者らしいシャイなペレルマン氏は、脚光を浴びる舞台に体が拒絶反応を起こしたのでしょう」と、同氏の立場を思いやった。
http://www.asahi.com/international/update/0822/019.html