博士の就職力、学会も後押し 研究職続行は「3割」

(AERA:2007年09月24日号)

 国の思惑通り、博士は増えた。

 しかし、博士の将来は「どん詰まり」だ。

 民間企業へ転身するか、研究を続けるか。

 若き研究者が「出口」を求めてもがいている。

 一橋大大学院経済学研究科の博士課程、坂下誠さん(33)は昨年4月、就職活動を始めた。研究者の道をあきらめたのには理由がある。

 「非常勤講師の働き口すら得るのが難しいし、なれたとしても、薄給で身分は不安定。年収500万円にも満たない人もいます」

 国は1991年、研究者の裾野を広げようと、「大学院生倍増化計画」を打ち出した。1990年度に7813人だった大学院生はこのところ、1万7000人台にまで増えた。ところが−−。

 インターネット上のサイトが数年前、院生たちの間で話題になった。タイトルは「博士が100にんいるむら」で、『世界がもし100人の村だったら』のパロディー版。

 そのサイトにはこう書いてあった。医師は16人、大学の先生が14人、ポスドクが20人で、医師を除けば「研究職」を続けられるのは、たった3割だけ。会社員・公務員が19人、他分野に行くのが7人……。行方不明か死亡は8人、無職も16人いた。

 ポスドクとは、ポストドクターの略で、任期3〜5年の研究職だが、アルバイトと同じように身分は不安定で、クレジットカードをつくれなかったという人もいるほど。

 博士になっても、エスカレーター式の「出口」はない。バラ色の将来が約束されているわけではないのだ。

 前出の坂下さんは、大手シンクタンクに絞ってエントリーシートを提出した。が、ほとんど書類選考の段階で落とされた。

 新卒学生よりは10歳年上。学歴はあっても職歴はゼロ。やはり不利なのか。残っていた1社も最終面接で落ちた。

 「世の中に自分の居場所はないのか」

 ひどく落ち込んだ。

●半年間で80社訪問

 大学の共同研究室に閉じこもった。ひたすらパソコンのキーボードをたたいた。なぜ落とされたのか、自分の考えを書き殴った。ほとんど物も食べなかった。

 昼夜を問わず一心不乱に画面に向かった。坂下さんの姿に、研究室の同僚たちは唖然とし、だれも声をかけなかった。

 5日後、最終面接で落ちた企業あてに、自己分析の結果をメールで送り、再チャレンジさせて欲しいと頼んでみた。

 返事は来なかったが、気持ちの整理はできた。

 「認識が甘かったんです。大学院まで出ているのだから、シンクタンクしかないと思いこんでいた。世の中にどんな仕事があるかさえよく分かっていなかった。世間知らずでした」

 08年の採用に向け、できるだけ多くの企業を回る方針に変えた。昨年12月から6カ月間、スケジュール帳をびっしりと埋めた。

 就職情報サイトはもちろん、ハローワークにも登録した。コンサルティング、商社、IT企業、メーカー、保険、コンビニエンスストア、ジュエリー、新聞社から郊外の印刷工場まで、企業訪問をした会社数は約80にのぼった。

 「大学院で学んだ知識がビジネスの場で使えるとは限らない。でも、大学院で学んだ論理的な思考能力はビジネスの場でも求められるはず。そこをアピールしました」

 今年5月、大手IT企業に内定した。配属先はリースにかかわる営業部門で、大学院での研究とはまったく関係ない。

 「同年齢の社員は10年先輩で、同期は10歳年下。経験のなさを自覚したうえで、年齢に相応しい姿勢でより高い要求をこなす、そういう覚悟は決めています。でも、不安でもあり、楽しみでもあります」

 もちろん、研究をあきらめない人もいる。

 イスラエルの研究をしている男性の博士号取得者(35)は、妻と3歳の娘を養っている。時間がとられるため、今年6月には仕事をやめ、研究に専念した。生活費は、ヘブライ語の通訳や翻訳でまかなっている。研究に専念した、この男性もこう話す。

 「『食べるという現実』と『研究を続けるという理想』の間で、どう折り合いをつけるか、日々考えている」

 これが、博士の現実。

 30代も半ばになれば、ある程度人生設計を固めたい。なのに、研究を続けられるのか、働く場所はあるのか。博士たちの将来は、いわばどん詰まりなのだ。

●就活失敗で自殺の例も

 ブログ「漂流博士」を開設している、このイスラエル研究者は、

 「30代半ばの世代は、何となく大学院に進んだ人が多い」

 と言う。

 大学院生向けの就職コンサルティングをしているベンチャー企業「D・F・S」(東京都渋谷区)の林信長社長はこう説明する。

 「企業に就職しようと思っても、研究室という狭く閉じられた環境にいると、教授のコネ頼みだったり、就職活動を言い出せない雰囲気があったりするのです。インターネットで探しても院生向けの情報が非常に少なかった」

 今年4月、院生向けの季刊フリーペーパー「アカリク」を創刊した。アカデミー(大学院)とリクルート(就職)を橋渡しするのが狙いだった。7月の第2号は1万部を配布した。

 林社長自身、京都大学大学院で哲学を学んでいた。在学中に企業のホームページ作りで起業。博士課程に3年間在籍し、ビジネスに専念するため、中退した。大学院時代には、就職活動がうまくいかず自殺を図った同級生もいたという。

 「院生の人数を増やすのはいいと思うが、就職口などの『出口』も多様化しないと、優秀な学生が博士課程を敬遠するようになってしまう」

 人材サービス会社にとって、「院生ビジネス」は新たな市場として魅力的に見えるのだろうか。

 大手人材サービスの「テンプスタッフ」(東京都渋谷区)はポスドクを対象にした就労支援サービスを9月10日から開始した。

 「企業では慢性的に研究者が不足しているが、ポスドクの採用経験が浅いために、積極的な採用に至らないケースが多い。大学とも提携し、ポスドクと企業のマッチングを進めていきたい」(テンプスタッフ広報室)

●学会発表も求職の一歩

 文系よりは条件がいい理系でも、どん詰まり感が強い。民間頼りではいけないとばかりに、ついに、学会も動き始めた。

 会員数約2万4000人の応用物理学会は「キャリアエクスプローラーマーク」をつくった。学会で発表する際、スライドの表紙や掲示資料にこのマークを示して、「求職中」であることが周りからわかるようにするのが狙いだ。

 9月4〜8日に北海道工業大学で開かれた学会で初めて使われた。

 応用物理学会副会長の小舘香椎子日本女子大教授はこう話す。

 「学会には企業の研究所の所長や部長といった人事権を持つ人も来ている。出会いの場になればいいと思っています」

 (AERA編集局 有吉由香)
http://www.asahi.com/job/special/TKY200709270086.html