死に顔を写真におさめる
葬式の葬列の写真とか、出棺のときにみんな並んで記念写真とかというのは調査でみたことがあるけれども、死んだ人の写真を撮っているというのはあまりみたことがない。
コメント欄に書いたことの補遺
ここで、
自分の携帯には、大切な人の最期の写真が入っている。
その携帯を自分はいつも持ち歩いていて、見ようと思えばいつでも見られる。
たとえもう二度と会うことができなくても、いつもそばにいてくれる。
そんな“お守り”のようなものに、その写真はなっていくのではないだろうか。
こういったことが述べられているが、こういう感情なら理解できる。死者の遺髪や遺品とかそういうものと同じ感じなのだろう。写真論というよりも、携帯電話機論として語るほうが妥当ではないだろうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060216-00000066-mai-soci
<お葬式>カメラ付き携帯で最期の顔パチリ 困惑派・理解派お葬式の際、亡くなった人の顔をカメラ付き携帯電話などで撮影する人が増えている。葬儀関係者には「人の死を悼む気持ちが荒廃している」と感じる人がいる一方で、「時代とともに葬儀も変わる」と受け入れる人もいる。あなたは、最期の顔を撮影されたいですか?
昨年7月、横浜市内の斎場。出棺前に花を詰め始めると、親族や友人5〜6人がカメラ付き携帯で故人の姿を撮り始めた。同市の葬儀デザイナー、出口明子さんにとっては初めて見る光景だった。故人と生前から付き合い「本人の意思を尊重した葬儀」をサポートしただけに「注意すべきか」と迷ったが、親族が何も言わなかったので黙っていた。翌月、私的に出席した葬儀でも同じ場面を見た。
全国の葬儀社でつくる全国葬送支援協議会(総本部・東京都千代田区)の斎藤浩司理事長(34)は「月に1度は見ます」と話す。「中学生や高校生は『撮っていいの?』という雰囲気だが、30〜40代の人は当然のように撮影する」と話す。香川県三木町の三木・長尾葬斎組合「しずかの里」職員、長尾鉄夫さん(55)も「20〜30代の若い人が『記録に残す』という感じで撮る」と話す。
出口さんは「人を悼む気持ちが荒廃しているのでは、と気になる。亡くなった方は死に顔なんて絶対に撮られたくないはず。撮影の可否まで遺言を取ることも検討しなければ」と困惑。斎藤さんも「カメラが身近になり気軽に撮るのだろうが、心の写真を撮っておく(脳裏に焼き付ける)のが一番」と話す。
一方、長尾さんは「葬儀に対する考え方も時代とともに変化してきた。臓器移植が一般化し、遺体が神聖不可侵なものとの考えが薄くなったのでは」と理解を示す。
メディア社会論に詳しい評論家・武田徹さんは「対象を撮影し、他者とともに確認しなければ“リアリティー”が感じられなくなっている。葬儀も焼香だけでは満足できず、故人との確かなつながりを持ちたいとの思いから撮影するのだろう」と分析。カメラ付き携帯などの普及で何でも撮影する風潮に加え、現代人の感覚や死生観の変容という社会背景を要因に挙げている。【稲田佳代】
(毎日新聞) - 2月16日16時3分更新