岡八朗訃報

「奧目の八ちゃん」逝く…67歳肺炎で

 「奥目の八ちゃん」の愛称で親しまれたコメディアンの岡八朗(おか・はちろう、本名市岡輝夫=いちおか・てるお)さんが26日午前5時20分、肺炎による呼吸器不全のため兵庫県尼崎市内の病院で死去した。67歳。25日に体調が急変、病院に運ばれたが、そのまま帰らぬ人となった。岡さんは人情味あふれるキャラクターや「くっさ〜」「えげつな〜」などのギャグで人気者となり、吉本新喜劇の黄金期を支えた。晩年は舞台に立つ一方で、アルコール依存症克服をテーマに講演活動も行っていた。

 関係者によると、岡さんは数日前に体調を崩した。病院で点滴を打った後、尼崎市内の自宅で療養していたが、25日早朝に容体が急変し、救急車で病院に運ばれた。その後、意識がなくなり、26日午前5時20分、長女の裕子さん(41)らに看取られて息を引き取った。

 連絡を受けた弟子のオール巨人おかけんた・ゆうたは25日に病院に駆け付け、深夜まで付き添ったが、3人の帰宅後に岡さんは死去。オール阪神はテレビの釣り番組のロケでインドネシアを訪れており、旅先で訃報を聞いたという。

 岡さんの最後の舞台は16日に大阪市内で行われた「オール阪神・巨人」のコンビ結成30周年記念イベント。トークコーナーでゲスト出演すると、最後は「ガオー」とほえ、締めくくった。会場は大喝采で、本人も満足していたという。

 岡さんは1960年(昭35)に研究生の1期生として吉本新喜劇に入団。独特の風ぼうや人情味あふれるキャラクター、「くっさ〜」「えげつな〜」「スキがあったらかかってこんかい!」などのギャグで幅広い世代から不動の人気を得た。花紀京船場太郎原哲男山田スミ子間寛平らとともに新喜劇の黄金期を支え、30年以上の間、人気コメディアンとして活躍した。

 96年に脳挫傷で入院後はしばらく芸能活動を休止していたが、02年のイベント「岡八我王伝説」で芸能活動を再開。03年には心機一転を図り「八郎」から「八朗」に改名。宮川大助・花子の公演などに出演する一方、アルコール依存症克服をテーマに、長女裕子さんとともに全国で講演したこともあった。

 晩年はセリフに不安を覚え、舞台前には周囲を心配させることもあったが、舞台に立つとアドリブを交えて客席を笑わせるなど、根っからの芸人根性は健在だった。今年に入ってからは月数回のペースでゲストなどの形でイベントや舞台に立っており、9月にも大助・花子の地方公演に出演する予定だった。

[2005/7/27/09:42 紙面から]

吉本新喜劇岡八朗さんが死去

 「奥目の八ちゃん」の愛称で親しまれた元吉本新喜劇岡八朗(おか・はちろう、本名・市岡輝夫=いちおか・てるお)さんが26日午前5時20分、肺炎による呼吸器不全のため兵庫県尼崎市内の病院で死去した。67歳。

 1月に肺炎を患い、その後回復したが、数日前から再び体調を崩した。25日早朝に急変。救急車で病院に運ばれたものの、すぐに意識がなくなった。弟子のオール巨人おかけんた・ゆうたが病院に駆け付け、25日深夜まで付き添ったが、3人の帰宅後に息を引き取った。オール阪神はテレビ番組のロケで、インドネシアに滞在していた。

 岡さんは60年に新喜劇入り。黄金期を支え、人情味あふれるキャラクターや「くっさ〓」「えげつな〓」などのギャグで、30年以上も活躍した。私生活では満身創痍(そうい)だった。アルコール依存症に悩まされ、30歳で結核、55歳で胃がん闘病、58歳で脳挫傷に。80年には妻と死別し、98年には長男が病死、01年には再び離婚を経験した。03年に心機一転を図り「八郎」から「八朗」に改名。最近は、同依存症克服をテーマに講演活動も行っていた。7月16日のオール阪神・巨人の結成30周年記念イベント(大阪)で「ガオー」のギャグを披露したのが、最後の舞台となった。

 通夜は27日午後7時から、葬儀・告別式は28日午前11時半から、ともに兵庫県尼崎市東難波町5の17の30、ベルコ尼崎駅前ホール。喪主は長女市岡裕子(いちおか・ゆうこ)さん。

[2005/7/27/07:22 紙面から]

吉本新喜劇の黄金時代築いた岡八朗さん死去

岡八朗さん 「奥目の八ちゃん」逝く−。「えげつなー」「くっさー」などのギャグで知られるコメディアン、岡八朗さん=写真右=が26日、肺炎による呼吸器不全のため、兵庫・尼崎市内の病院で亡くなった。67歳だった。岡さんは16日に大阪・なんばグランド花月で行われた弟子の「オール阪神・巨人」の結成30周年記念公演で元気な姿を見せたばかりだった。〔写真左:新喜劇の舞台で、元お笑い芸人の船場太郎大阪市議会議長(左)と爆笑コントを繰り広げる岡八朗。同右下:肝機能低下で入院していた花紀京(左)の復帰舞台に出演(平成12)。同左下:長女の裕子さん(左)と親子漫才を楽しげに披露した(同14)=大阪・なんばグランド花月〕 

 所属の吉本興業などによると、岡さんは25日午前5時40分ごろ、尼崎市内の自宅廊下で倒れているところを、同居している娘の裕子さん(40)が発見。救急車を呼び、同市内の病院に運ばれた。

爆笑コントを繰り広げる岡八朗 海外ロケで不在のオール阪神をのぞく、弟子のオール巨人おかけんた・ゆうたらが病院に駆けつけたが、26日午前2時ごろ、容体が一時安定したため巨人らは帰宅。しかし、その後急変し、裕子さんら親族3人に看取られ、午前5時20分に息を引き取った。

 岡さんは俳優をしていた昭和34年、花菱アチャコさんの推薦で吉本新喜劇の1期生となった。“奥目”を売り物に独特の風貌と庶民的なキャラクターで人気者に。同世代の花紀京らと新喜劇の黄金時代を築いた。「くっさ〜」「隙があったら、どっからでもかかってこんかい!」など、数多くのギャグで愛された。

 平成元年、新喜劇のマンネリ打破のため若返り策がとられた際、吉本興業は「花紀と岡は別格」と引き留めたが、「若い人たちの出番を増やしてほしい」と2人同時に退団。テレビ出演や地方公演に活躍の場を移した。

花紀京と名コンビ そんな華やかな芸能生活とは裏腹に、私生活では数々のトラブルに見舞われた。「一にも二にも三にも健康法は酒です」が口癖。30歳で結核を患い、平成5年には胃がん、7年に急性すい炎、8年には脳挫傷…。妻の自殺、長男の急死など身内の不幸も重なり、アルコール依存症に。「再起不能か」とまで囁かれたが、芸への執念で断酒に成功した。

 「やっぱり芝居がしたい。お酒を飲んでたらダメや」。14年、芸能生活45周年記念リサイタル「岡八我王(ガオー)伝説」で見事に復活。ゴスペル歌手の裕子さんと父娘漫才も披露した。15年には心機一転、芸名を「八郎」から「八朗」に変えるなど、舞台への意欲は衰えなかった。

 今月16日、なんばグランド花月で「オール阪神・巨人結成30周年記念『僕らは浪花の漫才師』」にゲスト出演。阪神・巨人、けんた・ゆうたらと披露した思い出話を手土産に、八ちゃんは天国へ旅立った。

父娘漫才 ◆オール巨人 「私にとって優しい師匠であり、また兄のような存在でした。最近は病気、身内の死など不幸が重なり、少し寂しい思いをされていたと思いますが、僕ら(オール阪神・巨人)の30周年のゲストとして出演していただいたときの楽しそうな顔が印象的で、やっぱり最後まで舞台と芝居が大好きな師匠でした」

 ◆おかけんた・ゆうた 「今はまだ実感がありません。仕事が入りだしてきた、この時期に…。これからは本当に寂しくなると思います」

 

★親族らで仮通夜

 尼崎市内の岡さんの自宅では仮通夜が営まれ、親族らが最後のお別れ。弟子のオール巨人は「最期は看取ることができませんでした」と残念そうに話した。前日はオフだったため、すぐに駆けつけたが、早朝にいったん自宅に戻ったという。「以前も肺をやられてましたが、今回はその時の症状が出なかったので、ひと安心したのですが」。家族を気遣い言葉少なだったが、気丈に応対していた。

★葬儀・告別式

 通夜は27日午後7時から、葬儀・告別式は28日午前11時半から、兵庫県尼崎市東難波町5の17の30、ベルコ尼崎駅前ホールで。喪主は長女、市岡裕子(ゆうこ)さん。

岡八朗さんの主なギャグ
(初対面で)
「お嬢さん、僕と結婚してください」
「くっさ〜、えげつな〜」
「この構えに隙があったら、
どっからでもかかってこんかい!」
「馬鹿にすなよ、こう見えても
ピンポンやっててんぞ!」
(続けて)「空手もやっとったんじゃ
通信教育やけどな」
奥目で手紙を顔に密着させて読む
ピストルの弾を奥目で受ける
奥目でビール瓶の栓を抜く

岡八朗さん、爆笑ギャグの陰で…
年齢 出来事
30歳 結核で入院
40歳 虫垂炎の回復が遅れ、長期入院
42歳 15年連れ添った妻が自殺
48歳 アルコール依存症で幻覚や幻聴に悩む
50歳 若返りのため吉本新喜劇を〝リストラ退団〟
55歳 胃がんで胃の全摘出手術
57歳 急性すい炎で入院中にベッドから転落、左足の指3本を骨折
58歳 自宅の階段で転倒、頭を打ち脳挫傷で入院
60歳 長男で元吉本新喜劇の俳優、岡謙吾さんが肝硬変のため30歳で急死
63歳 43歳のときに再婚した妻と離婚

「えげつなー」吉本新喜劇で活躍 岡八朗さん死去

 「奥目の八っちゃん」の愛称で親しまれた元吉本新喜劇座長の岡八朗(おか・はちろう、本名・市岡輝夫=いちおか・てるお)さんが26日午前5時20分、肺炎のため亡くなった。67歳だった。告別式は28日午前11時30分、兵庫県尼崎市東難波町5の17の30ベルコ尼崎駅前ホール。喪主は長女、市岡裕子(ゆうこ)さん。

 尼崎市生まれ。高校卒業後、宝塚映画の研究生を経て1960年、吉本新喜劇(当時、吉本ヴァラエティ)の1期生。一時期、浅草四郎と漫才コンビを組むが解散して新喜劇に戻り、68年、30歳で座長に起用された。

 コミカルな動きとともに発する「くっさー、えげつなー」「すきがあったらかかってこんかい!」などのギャグと大阪の下町らしい人情味あふれるキャラクターで、花紀京さん、原哲男さんらと吉本新喜劇の黄金時代を支えた。

 退団後、テレビや映画、舞台で活躍するが、アルコール依存症胃がん脳挫傷で闘病生活。アルコール依存症は弟子のオール阪神・巨人さんらに支えられて断酒会に参加して克服した。

 2002年12月、大阪・なんばグランド花月で開いた「芸能生活45周年記念リサイタル」では新喜劇の舞台に上がり、原さんらを相手に往年のギャグを披露した。著書に裕子さんとの共著「泣いた分だけ笑わしたる!」など。

 今月16日、大阪・なんばグランド花月で開かれたオール阪神・巨人さんの結成30周年記念イベントにも元気な姿を見せ、師弟の思い出話などを語った。
(2005年07月26日 読売新聞)

岡八朗さん逝く…もう聞けない数々の名ギャク
02年12月、長女の市岡裕子さん(左)と復活の会見をする岡八郎さん
◆ 肺炎による呼吸不全で、67歳 ◆

 「奥目の八ちゃん」の愛称で親しまれた喜劇役者・岡八朗さん(本名・市岡輝夫=いちおか・てるお)が26日午前5時20分、肺炎による呼吸不全のため兵庫県尼崎市内の病院で死去した。67歳だった。「くっさー、えげつなー」などのギャグで一世を風靡(ふうび)した吉本新喜劇の大スター。89年に新喜劇を退団後は胃がんアルコール依存症と闘いながら活躍。16日に開催された弟子のオール阪神・巨人のコンビ結成30周年記念公演が最後の姿となった。


◆ 最後まで芸人魂持ち続け ◆

 オール阪神・巨人の記念公演に駆けつけ「ガオォォ〜〜ッ!」とおなじみのギャグで祝福していた“奥目の八ちゃん”が急逝した。なんばグランド花月の舞台上で「ようできた弟子たちです」と目を細めていた岡さんの姿をもう見ることはできない。

 岡さんは25日早朝に自宅で倒れた。長女の市岡裕子さんが呼んだ救急車で尼崎市内の病院に運ばれ、弟子の巨人、おかけんた・ゆうたが病院に駆けつけ26日未明まで付き添った。3人が引き揚げた直後に岡さんは亡くなった。最期は裕子さんら親族3人がみとった。

 「優しい師匠であり、また兄のような存在でした。30周年のゲストとして出演していただいた時の楽しそうな顔が印象的で、やっぱり最後まで舞台と芝居が大好きな師匠でした」。公私にわたり岡さんを支えてきた巨人は悲しみをこらえながら振り返った。けんた・ゆうたも「今はまだ実感がありません。仕事が入り出して来た、この時期に…。これから本当に寂しくなると思います」とつらい心境を語った。

 弟子に恵まれた岡さんだったが、その人生は決して順風満帆ではなかった。70年代に吉本新喜劇の看板スターとして活躍した一方で、私生活は不幸の連続だった。最愛の妻を自殺で亡くしたのを始め、長男とも死別。脳挫傷胃がんなど精神的、肉体的にもつらい時期を送った。86年ごろにはアルコール依存症で幻覚を見るまで追い込まれた。しかし、2003年に絶縁状態だった裕子さんを米ニューヨークから呼び戻して漫才コンビを結成、舞台にも特別出演していた。

 「家族と弟子一同に最後を見送られ、本当に素晴らしい笑いの王様だった父を持って誇りに思います」と裕子さん。断酒して本格復帰を目指していた岡さんは最後まで芸人として生き抜いた。


 ▼ 元吉本興業常務の木村政雄さん 新喜劇研究生の1期生で、いわば新喜劇のベースを作った人。横山やすしさんと同様、破天荒にみえて繊細で、新喜劇改革の際は自ら「卒業したいんや」と言ってきてくれた。最後がオール阪神・巨人の舞台なんて…。師匠として「一仕事終えた」とホッとされたんでしょう。

 ★ 岡 八朗(おか・はちろう) 1938年(昭13)4月16日、兵庫県尼崎市出身。花菱アチャコの付き人から60年4月に吉本興業に入社。61年に浅草四郎と漫才コンビを結成する。コンビ解消後、舞台に戻り68年に吉本新喜劇の座長に就任。89年に新喜劇を退団。93年に胃がんのため胃を全摘手術する。96年には脳挫傷で入院。2002年に「岡八我王伝説」で芸能活動を再開。03年に「岡八郎」から「岡八朗」に改名。同6月にはアルコール依存症から抜け出す苦闘を描いた裕子さんとの共著「泣いた分だけ笑わしたる!」を出版した。
[ 2005年7月27日付 紙面記事 ]

岡八朗氏死去 コメディアン
2005/07/26 16:32

 死去した岡八朗さん(俳優)

 岡八朗氏(おか・はちろう=コメディアン、本名市岡輝夫=いちおか・てるお)26日午前5時20分、肺炎による呼吸不全のため兵庫県尼崎市の病院で死去、67歳。兵庫県出身。葬儀・告別式は28日午前11時半から尼崎市東難波町5の17の30、ベルコ尼崎駅前ホールで。喪主は長女市岡裕子(ゆうこ)さん。

 21歳で吉本新喜劇に入団。一時期、漫才師となり人気を得るがコンビを解消、吉本新喜劇に戻った。独特の風ぼうと「くっさー」などのギャグで、人気コメディアンとして活躍した。

 その後、吉本新喜劇の再編成に伴い、テレビ、商業演劇など同喜劇以外にも多く出演「奥目の八ちゃん」の愛称で親しまれた。1993年以降、胃がんのため入院するなど病気がちで、2003年に心機一転を図り、芸名を「八郎」から「八朗」に改名していた。

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